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2011年4月 9日

「ずっと好きだった」が、好きだった。

...とタイトルをつけてみた割には、僕はどっちかというと「彼女」の方がより好きだな。

騒動そのものを追うのは他の人に任せて、僕は今、この件について感じたことだけを話そう。

斉藤和義自身の主張が反原発でも親原発でも、僕はどちらでもかまわないと思っている。そしてそのことを口舌で語るのではなく、音楽によって主張したという点において、そこにミュージシャンとしての気概を見いだして嬉しくもある。しかし一方で、それが「『ずっと好きだった」の替え歌」として行われたことには、すごく残念な思いがある。

ずっと好きだった 斉藤和義 歌詞情報 - goo 音楽

彼自身、どのような批判でも受けて立つ気持ちだったのだろうと思う。そこは最大限尊重したい。あと作風もわざわざ「青い光」を持ち出すまでもなく、割と社会的な話題をちりばめることは少なくないので、それ自体にとりたてて意外だとか驚いたとかってことも特には無い。そもそも清志郎チルドレンでもあるわけで(というのは笹平さん(@sshrtk)の指摘で気がついた、というか思い出した)、この局面で抱く思いもいろいろあるだろうってのは分かる。事務所やレコード会社など周囲との葛藤や軋轢も相当いろんなものがあろうし、その辺はここではおいておく。

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ただ、今回の「ずっとウソだった」の歌詞を聞いて、というかこの騒動の発端を耳にしてからずっと、どうにも強い違和感があった。

「ずっと好きだった」は形の上ではずっと好きだった女の子への未練をぶつける歌詞だが、「ずっと好きだった」のに、その思いに応えてくれなかった相手を責めるといったことではなく、未練を断ち切れずにいる自分の焼き焦がれるような内面をさらけ出す歌である。

「ずっと好きだった」だけだとはっきりしてこないかもしれないが、最初にも挙げた「彼女」やちょっと毛色は違うが「進め なまけもの」あたりを例に挙げたい。あと「ずっとウソだった」路線から攻めるなら、「ポストにマヨネーズ」の方なんかも近いかもしれない。

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好きだった、それでも別れた相手に「気づけなかった涙してたこと」をいつまでもひきずり(「彼女」)、うまくいかない毎日の、アパートに帰り着き眠ろうとするも賑やかそうな「隣が目障りだけれど寝ちゃえば平気」と敢えて外ではなく内へ意識を持って行こうとすることで軽く強がってみたり(「進め なまけもの」)、ストーカーだか変質者だかへどが出るような嫌がらせをしてくる相手に同じレベルになって相手してみせるなど(「ポストにマヨネーズ」)、これでもかと、脆く無様な自分の内面を引きずり出して描き出し、それを歌にする。「あんたの人生 楽しそうだな」って皮肉だろうか、それとも本心だろうか。何とも身震いさせる、ワクワクさせる歌詞を書いてくれるじゃないか。

こんな男が「ずっと好きだった」と歌う。他の歌から比べればかなり抑制の効いた内容だけに、むしろその内面はどれだけのカオスになっているものかと、想像かきたたせられるものがある。この歌で同じようなことドロドロと書いてたら野暮ってもんだよね、ってなくらいのもんだ。

斉藤和義というとそのくらいのものが言ってみれば「先入観」として浮かぶので、その上で「ずっとウソだった」を聞かされてん?何だ政府と東電disだとか?え?そんな歌だっけ?と、軽く面食らってしまった。「ずっと好きだった」と言う自分は、それを口にすればする程辛くなっていくことが分かっているはずなんだが、「ずっとウソだった」と嘆く自分からは、そんな様子は感じられなかった。いつもなら、相手に対して手に握り構えるナイフのあまりの冷たさに我が身をも凍てつかせ滅びさせようともする自分に向けた鋭さが、「ずっとウソだった」では全く立ちのぼって来なかった。

替え歌なんだから、元歌にどこまでも従属しなきゃいけないってもんでもなし、好きに組み変わって当然だと割り切る考え方もできる一方、作者本人の手によるものながら、しかもタイトルも歌詞構成もかなりそのままなのに詞世界を全然トレースしていないというのは、正直にぶっちゃけてしまえば、「ガッカリ」した。

プロテストソングをやりたいならやればいい(「ご勝手に」と突き放す意味ではなく)。けど、「ずっと好きだった」を好きだった立場からすれば、作者本人がこんなことをしてしまったら、まるで元歌が死んでしまったようである。元歌の自分と、替え歌の自分は、全く繋がっていないんだろうか。...いやむしろ実際は、同じように辛いし、同じように自分が責めを負うべきなんじゃないか。世間は政府や東電へのその批判精神と勇気に感動したなんつってるが、本当はそんな簡単な話じゃないんじゃないか。ねえ。どうなんだ。ああ、モヤモヤする。

教えてよ。やっぱいいや...。

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コメント(1)

よく、レコーディングと違うアレンジでライブをやると「がっかり」「変えてほしくなかった」という声を聞きます。でも、家に帰ってCDなりiTunesを開けば、元曲はそこにそのまま、あるんですよね。レコーディング=記録として、そのカタチは一度固定されている。それはレコーディングした本人の、その日の「記録」。

本人はその後も変わり続ける。「もっといいアレンジが思いついた」「自分のサウンド的指向が変わった」と、ライブでは往々にしてアレンジが変わっていく。ライブを「CDを売るためのプロモーション」でなく、「今、このときを共有する方法」と考える真摯なアーティストほど、そう。逆に、でなければ生バンドでなくカラオケで良いし、口パクでもいい。

歌詞も同じ。「もっと言い伝え方を思いついた」「考え方が変わった」という理由で、歌詞を変えていくことは洋楽では当たり前だ。美空ひばりが「悲しい酒」をちょこちょこ歌詞変えながら歌えば、作詞家のセンセやファンからお叱りを受けるだろうが、自作自演歌手なら変えて当然、ましてやロックは生もの。

で、日本には「もじり」「替え歌」の文化というのは脈々とあるわけで。
あえて新しめの、耳馴染みのある自分のポップチューンをプロテストソングに振り替えてしまうことも、斉藤君なりの表現だろう。

あなたの好きな「ずっと好きだった」が無くなったわけではないし。斉藤和義はこれからも斉藤和義であり続けると思うよ。

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