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2009年10月 5日

これからどうなっていくんだろうね、テレビって。

はてなブックマーク - livedoor ニュース - 【エンタがビタミン♪】サンジャポ青木裕子。中川氏死亡の速報に「注目しないでください」
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.livedoor.com/article/detail/4378498/

まず第一報その内容に驚き、故人となった中川氏の冥福をただただ祈るばかりではあるけれども、付随したこの話題について気になったので少し。

まあこのlivedoorニュースの元記事自体ミスリードを含んでるし、ソースロンダリング的という批判は逃れられないとは思う。しかし、そこに固執して「円滑な進行を心がけただけ」という一部のブクマコメントに見られるような主張をすればするほど、それはつまりテレビメディアが現状として抱く絶望的な問題点を浮き彫りにするだけではないかと思うのだ。

司会は確かに場の進行を統べる者である。"Master of Celemony"だマスターだよマスター。水割りくれとか言ってんじゃないよ。しかしその「場」というものはスタジオだけではなく聴衆、ブラウン管の向こうにいる視聴者も含めたものであるはずだ。ステージの上で内輪だけで盛り上がってオーディエンス置いてけぼりなライブに誰が見に来ると言うんだろうか。

もしかしたらこの司会は録画番組(この番組自体はレギュラーで生放送のようだけど、番組自体取り違えてたかもしれないよ)のつもりで居たのかもしれない。「そのくらいきちんとしろ」とまでハードルを上げるつもりは無い。そんな窮屈な話にはしたくない。ただ、効果音とともに画面上方に現れた字幕二行に視聴者は注目し、それと同じ振る舞いをとった出演者に対して「見るな」と言ってしまうのは...、と言葉に詰まってしまう。もう少し言い方はあったろうにと。

この事象を、つまり、ブラウン管の中だけで閉じたものとして捉えるか、そうでないものとして感じるかによって見方が分かれているように思うが、がというのは、これが生放送であるということ。まさにリアルタイムで発生した事象であり、スタジオの注意と、視聴者のそれとが、全く同期した一瞬が確かにあったのだということ。フリだった可能性もあるが、あの瞬間、田中はまさに「視聴者」だったのだ。そして「見るな」の一言は「視聴者」としての田中に発したものであり、視聴者から「出演者」としての田中に戻るよう促したものではあったが、それであるがゆえに一般の視聴者に対しても届く波長を持っていたのである。そしてこの一瞬生じたブラウン管の内と外の間のリンクを、一言で断ち切ってしまった。うーん、となってしまうのはそこである。

もっと言うと、爆笑問題はこの手の政治的な話題を取り込んでネタにしてきたのに、それを遮ってまで自身のプライベートな話題に持ち込ませたこと。番組自身も、その速報の内容は通常の話題範囲だったであろうこと。これらのことをふまえると、おそらく司会は速報の内容をよく見ずに言ってしまったのであろうし、たとえ台本があってそれを守って進行させることを心がけただけにしても、「見るな」と誘導したのはやはりまずかった。

そして、このことでふと思い至るのは近年の生放送番組の低落傾向である。すなわちテレビメディアにおいてこうした局面でのとっさの対応が重視されない状況ということ。そもそも今回の件も収録番組であれば全く問題にならなかったはず。そこなら速報の入りようが無いし、それよりむしろ円滑な進行こそ正義、となるはずだからだ。デジタル化移行の目玉の一つとして「双方向化」が挙げられもしていたが、生放送が重視されなくなっていけば双方向性の発揮しようがないんだよなあ。ほんと、これからどうなっていくんだろうね、テレビって。

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