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2007年11月 3日

いかんともしがたいおっさん

スポーツにしろ何にしろ、何かしら目的や記録や価値を達成するために努力する行為者とそれを鑑賞し賞賛する観客が居たとする。このとき行為者が何に重きを置き、何を選んで進むかは彼ら自身の自由と確固たる判断に基づいて行われるものであり、「それとは全く独立に」、観客はその姿や景色や物語を自由に再解釈再構築して受け入れることもできる。

「(一投手による)完全試合」が消えたと言っても物語がまるでごっそりと消えた訳ではあるまいに、その状況を再度そこから読み取り直して新たな物語を紡げばよいだけの話。自らが「勝手に」写し込んだストーリーが思い通りに行かなかったと憤慨し居るのも甚だ笑止千万なものだ。

http://www.tamakimasayuki.com/nanyara.shtml


11月1日(木)深夜
午前4時。気分がむしゃくしゃして眠れへんので書く。スポーツには必ず勝利と敗北がある。勝利を喜び敗北を悲しむのは「関係者」だけである。しかしスポーツには勝利と敗北に関わりない人々の心をも動かす瞬間がある。その瞬間こそ尊くスポーツが多くの人々に愛されている理由といえる。勝利と敗北だけが全てならそのスポーツは卑小な存在に留まるだろう。まぁ「豆ができた」んやからシャーナイけどね。しかし「金儲けをしてどこが悪いんですか」と嘯いた守銭奴の言葉が思い出されてならない。世の中おかしいで。いや邪推は止めよう。本当に「豆」で投げられなかったのだ。仕方なかったのだ。投げられないほどの「豆」だったのだ。それを事実と信じないと来年から野球を楽しめなくなる…。ダルビッシュは美しかった。もちろん山井も岩瀬も。

あっはっは。

「勝利と敗北だけが全て」ではないところ、選手たちの思惑を離れて掻き立てられる何かにこそスポーツの素晴らしさがあるのだけれど。

本来競技そのものには勝ち負けしかない無味乾燥な場のはずが、どれだけそこに「尊くスポーツが多くの人々に愛されて」やまない魅力を持つのか、選手たちの一挙手一投足の中に潜む何かから人々が感じ取っていた何かを改めて描き出すこと、これが玉木某とやらの肩書きである『スポーツライター』の仕事ではなかったかな?はて。

まあ、おそらく「完全試合」というものすごく分かりやすくかつネタにしやすい物語が目の前に繰り広げられつつあったのにトンビ(というと東尾を思い出すが今回は違うんだよな)に油揚げ浚われて力一杯に地団駄でも踏んだのであろうな。きっとそうだろう。いやはや。おかしな御仁であるな。そんなに物語が欲しければWWEでも眺めておればよかろう。はっは。

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