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2006年11月24日

それを「作る」なんて、とんでもない!!

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000952
SEの仕事は、35歳が限界ラインだよね? [リクナビTech総研 - Dr.きたみりゅうじの“IT業界の勘違い”クリニック]

色々とツッコミどころはあるんだが、このお話の一番の「勘違い」はこの仕事を「モノづくり」なんて言ってしまってるところじゃないだろか。

一般的にモノづくりと言ったときに対象となる「モノ」は既に定義されたもので、これを「つくる」とは「作る」、即ち高度な労働集約・知識集積によって改良を加えつつ製造する行為を指す。しかし「モノ」はこの世に何事もなく最初から存在しているわけではない。誰かが「創った」はずなのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A
ものづくり [Wikipedia]

この「モノづくり」という概念に、「創る」—即ち発明的ニュアンスが入る事例を私は過分にして知らない。創意工夫では、あったとしても。

 諸外国では、物質「Material」と人「person」は明快な分離がなされているが、日本において「もの」は物質である「物(もの)」と人格を指す「者(もの)」が未分化のまま、現代の先端文明の中で息づいている特徴がある。

…「モノ」はこうして混ざっているらしいのにね。

全ての人間が「創る」側に回れるわけではないし、この例話の人が「作る」ことに価値を見出し没頭してゆくことに何ら間違いはない。「作ろう」と思ってやり続けてきたことが実は「創り」につながることだってある。従来の物理存在を伴う製造業においては、「創った」あとの「作り」こみが『モノを言う』状況が続いてきた。だがこの0/1の世界では「創る」即ち「作る」まで行ってしまうことが往々にして起こりうる。あるいはコツコツと「作って」きた「モノ」のかけらたちをただ組み合わせるだけで「創れて」しまうことも数多く起こる。この世界で「作る」と「創る」の間に区別はない。—区別することに意味はない。もしそのことに思い至らずただ「モノづくり」なんて言っているとするならば、あまりに危うい。彼は35歳を待たずして使い棄てにされるのがオチなのではないだろうか。

…。

なんて。

いやまあ、俺がこの単語を聞くたび「そもそもその『モノ』って何だよ?」と疑問を抱かずには居られないこの上ない不快感を持っていることが一番の発端だと思うけど。もちろんこれはこれで尊重すべき精神であるはずなんだが、盲目的な崇拝・信仰対象になってしまったらもはやそれは違うだろう。「モノづくり」で果たしていいのか?あらゆるものには常に懐疑と再評価を忘れてはならない。その上で「モノづくり」で行く、結構。でもどうせ「つくる」ならその「モノ」って一体何なのよ?もしかして「作る」んじゃなくて「創れる」んじゃないか?と吟味してからでないと、いい仕事はできないと思うぜ?

[03:18 追記、後加筆]
そういえば以前のエントリで取り上げたときは、この仕事をPCが「好きでやっているわけではない」人間をメインに置いた話だったっけ。今回の記事では逆に「好きでやってる」方の話を持ってくるあたり、「好き」の対象が「仕事」に変わったとはいえ、またしてもこのschemeを素材にして話を作ってるところにとてつもない違和感を覚えるね。どうせやるなら「この仕事が好きであっても実態としてどうか」という視点を切り口にすべきだったんじゃないの?

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