2006年11月アーカイブ
2006年11月27日
Vistaが来たりて文字を書く
そうだ。文字符号においては8ビット即ち「バイト」じゃなくて「オクテット」と呼ぶべきなんでしたよね。いかんす忘れていましたよ。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061122/254691/
日本語文字セットがVista最大の問題として急浮上 [ITpro]
自分自身覚えてること思い出しながら並行してぐぐりながらではありますが:
- そもそも字形(グリフ)の変更と新字の追加は話題としてまず最初から分離しましょうよ。
- 「追加される新しい文字の一部をUnicodeで表現すると、通常の2バイトではなく4バイトで表現」この記事おそらく最も意味不明なところ。Unicodeはずいぶん前から多バイト(オクテット)文字集合なんですけど。
- あと文字符号が何ぼだろうとエンコーディングが何になるか分かんないとどーとも言えないんですけどね。今までだってUTF-8使ってれば平気で3バイト(オクテット)でばんばん届いてたりするわけだし。
- 新字対応は確かに厄介なんで、対応する必要ありますよね。プリンタにフォントインストールするとか、方法がないわけじゃないと思いますけど。
- 「カラムの長さを固定しているデータベースに、4バイト文字を登録するようなケース」…うーん、たとえば確かMySQL 5.xなんかだと文字列カラムはバイト数じゃなく文字数を使うようになったDBもあるし、Oracleとかはよく知らないけどそこは何とも言えないなあ。それでも何割かはそうしたケースに当てはまる?かな?そんときゃUnicode使うのに2バイトを当て込んだ担当者の不明を罵るか、不運を嘆くしかないかと。
- SJISで送り込んでたら4バイトにはならないし、まぁそれでいんぢゃね?
- つかフロントエンドで「はねる」とか、そもそもあまり期待しないほうがいいんじゃないかと。従来のC/SとWebUIの世界だとそれぞれまた前提が違ってくるだろうけど。
- 記事中、4バイト(オクテット)になりうるのはUnicodeであってSJISもとは一言も言ってないが、「2バイトで表現できない文字は、JISの第三水準、第四水準の文字の一部なので」…と来ると一瞬あれ?と思ってしまうじゃないですか。おい。いいのかよ。
うーむ。書いてて俺自身よく分かんなくなってきた。日経のこの記事がおかしいことは分かるんだが、どこまでおかしいかがいまひとつ分からないや(苦笑)。やっぱ一度復習しよ。
2006年11月24日
Footballing Midweekers
直前のエントリを書きながらFOOTBALL CXでやってたCEL-MUを観ていたらこんな時間になってしまった。うーむ。
http://jp.uefa.com/competitions/UCL/FixturesResults/Round=2357/match=1116388/Report=RP.html
中村のFKでセルティック初の16強 [uefa.com - UEFAチャンピオンズリーグ]
何がすごいって、試合開始前からのどよめきがすごい。応援で声出すとか枯らすとかそういう状況ではもはやない。この試合をそもそも観たくて観たくてしょうがない、みんな黙ってられないのだ。そんなどうしようもない奴らが6万もあつまりゃ、そりゃあんな空間にもなるわな。
とりあえず今日くらいはJのことなど忘れて海外厨です。ええ。海外厨ですとも。5-1って何よ。ねえ。知らないよ俺そんなの?
orz
それを「作る」なんて、とんでもない!!
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000952
SEの仕事は、35歳が限界ラインだよね? [リクナビTech総研 - Dr.きたみりゅうじの“IT業界の勘違い”クリニック]
色々とツッコミどころはあるんだが、このお話の一番の「勘違い」はこの仕事を「モノづくり」なんて言ってしまってるところじゃないだろか。
一般的にモノづくりと言ったときに対象となる「モノ」は既に定義されたもので、これを「つくる」とは「作る」、即ち高度な労働集約・知識集積によって改良を加えつつ製造する行為を指す。しかし「モノ」はこの世に何事もなく最初から存在しているわけではない。誰かが「創った」はずなのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A
ものづくり [Wikipedia]
この「モノづくり」という概念に、「創る」—即ち発明的ニュアンスが入る事例を私は過分にして知らない。創意工夫では、あったとしても。
諸外国では、物質「Material」と人「person」は明快な分離がなされているが、日本において「もの」は物質である「物(もの)」と人格を指す「者(もの)」が未分化のまま、現代の先端文明の中で息づいている特徴がある。
…「モノ」はこうして混ざっているらしいのにね。
全ての人間が「創る」側に回れるわけではないし、この例話の人が「作る」ことに価値を見出し没頭してゆくことに何ら間違いはない。「作ろう」と思ってやり続けてきたことが実は「創り」につながることだってある。従来の物理存在を伴う製造業においては、「創った」あとの「作り」こみが『モノを言う』状況が続いてきた。だがこの0/1の世界では「創る」即ち「作る」まで行ってしまうことが往々にして起こりうる。あるいはコツコツと「作って」きた「モノ」のかけらたちをただ組み合わせるだけで「創れて」しまうことも数多く起こる。この世界で「作る」と「創る」の間に区別はない。—区別することに意味はない。もしそのことに思い至らずただ「モノづくり」なんて言っているとするならば、あまりに危うい。彼は35歳を待たずして使い棄てにされるのがオチなのではないだろうか。
…。
なんて。
いやまあ、俺がこの単語を聞くたび「そもそもその『モノ』って何だよ?」と疑問を抱かずには居られないこの上ない不快感を持っていることが一番の発端だと思うけど。もちろんこれはこれで尊重すべき精神であるはずなんだが、盲目的な崇拝・信仰対象になってしまったらもはやそれは違うだろう。「モノづくり」で果たしていいのか?あらゆるものには常に懐疑と再評価を忘れてはならない。その上で「モノづくり」で行く、結構。でもどうせ「つくる」ならその「モノ」って一体何なのよ?もしかして「作る」んじゃなくて「創れる」んじゃないか?と吟味してからでないと、いい仕事はできないと思うぜ?
2006年11月 6日
学校で何を習うか?
あとでかく。
…かもしれない。かも。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=3313
高校の必修科目履修漏れ問題 [事象の地平線::---Event Horizon---]
コメントに続く議論まで含めて、過不足無い非常に的確な(と思われる)分析をされているページ。改めて私なぞが何か言い足す必要は無いでしょう。合点合点。
しかしそれにしても、ここで処分があまりにあんまりな結果になると、教科や指導内容よりももっと重要なはずのことを、教え損ねるんじゃないですかね。私はそっちの方が心配です。
もう見るはずのなかった「功名が辻」
…なのだけれど、最近にしてはめずらしく?日曜日午後8時に家にいてzappingしてたら観てしまったよ。
山内一豊が関ヶ原の合戦において前線面での活躍がさして無いことは問題でないはずなのに、無理にそこを見せ場として持ち上げてしまったことで却って煮え切らなくなってしまってはなかったかいのう? まあ、合戦シーン自体は意外に(と言っては失礼か)そこそこまとまって作れていた、のではないかな。ただし、ちょっと気になってぐぐった限りの知識で言っても、彼の生涯を描くのに必ずしも「天下分け目の関ヶ原」は謳い文句にならないのですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦い - Wikipedia
ましてやこの配置図からすると、導入部で「毛利・吉川への抑えとして」最前線を張った一豊…のように触れていた箇所は(その機能が全く無かったとは言わないまでも)むしろ池田輝政だったわけで、ここは細かくツッコミを入れまくるよりは、ああでもないこうでもないと張り巡らせたテコ入れの痕を侘び寂びに似たようなものとしてむしろ感じ取るべきなのではないだろうか、とオチをつけてみることにした。
脚本側としてはもしかしたら合戦自体はどうでもよくて、むしろできることなら無視したかったんじゃないのか、NHKが色々と策動して関ヶ原で1回大きな花火を打ち上げたかったのではないか、なんてことを思わず詮索したりもしてしまったよ。